女川、いいところでした。また行くことがありそうです。
今日はもう少し見ておきたい遺構とR6の変容確認が目標です。
それが達成できたら、海沿いを離れます。
むっちゃ暑くなりそうなので、山の方に避難します。
山も暑いかなぁ。。。
今日の目的地に行くために一つ関所があります。それは「仙台」という都市。
ここをどう通過するか はとても大切な問題です。迷わず有料道路を利用しました。勝手に乗ってしまったんでなく、自ら有料道路を選択するのは今回初です。
着きました。
ここは建物の中に入れます。
当時、2階までが津波にあい、屋上に逃げた近隣住民や児童は全員避難できたそうです。おそらくヘリコプターでしょう。3人ずつ3日かかったそうです。
なぜかここでも撮影が行われてました。雰囲気的にはCM撮りとかの美しい女性のひとり語りみたいなのでした。
この遺構の近くに住宅基礎部分の遺構もありました。
この地区には当時800世帯が暮らしていたそうです。今は一軒もありません。
有料だったので、行く気はなかったけど通りかかった遺構
こうやって遺構を訪問すると、遺構つながりのパンフレットに出会い、遺構つながりができますね。
さらに、「3.11伝承ロード」という遺構やモニュメント、施設などが、マップとして分かりやすくまとめられたパンフもありました。
さて、R6。
どんな変化をしているかどきわくです。
「道の駅 南相馬」で
通航制限が分かりやすくまとめられたマップを入手しました(いただきました)。
分かりやすいです。
数年前の訪問時では、バイクは通行不可でした。
でも、今は不可の部分もわずかにありますが、ほとんどバイクもOKでした。
軽車両は今も不可です。
で、大きく変わったな と思ったことが。
それは、前回は右折も左折もできませんでした。ただただ帰還困難区域を直進するのみ。ところが、今回はところどころで曲がることができるようになりました。
せっかくなのでどこかのポイントで右折して山側に移動しようと考えました。
「大熊町」にしました。
理由は、山間部への道路のつながりがまぁまぁよいこと。もう一つは、原発施設は大熊町にあることです。まさに帰還困難区域です。ちなみに大熊町は数少ないバイク通過不可区間でした。
大熊町まで来たのでR6を山側へ曲がりました。
すべて車窓からの撮影です。停車もしていません。
R6を曲がるとかつての大熊町の集落でした。
でも、明らかにだれも住んでいません。たまに歩いている人は作業員の方です。
走っている車両も作業用車両ばかり。
スーパーの駐車場は資材置き場。
明らかに場違いなところに来てしまったと思いました。震災の傷跡を知る、感じることは日本人として意味があるはずだ。
と思っていましたが、正直自信が無くなりました。物見遊山な気持ちは無いですが、明らかに邪魔者な自分。